布引の瀧の歴史
「滝」と「瀧」?
「たき」は常用漢字では「滝」で、「瀧」は旧字です。でも「瀧」の方があふれ出る水の力強さを表現できているように思われませんか? このページでは、あえて「布引の瀧」と表記させていただきます。
伝説と説話 布引瀧
神戸の布引の瀧は、熊野の那智滝・日光の華厳滝と共に日本三大神滝と呼ばれますが、最も古くから名称が世に知れ渡ったのはこの布引の瀧です。
その時期は、布引瀧が平安時代、那智滝が鎌倉時代、華厳滝が江戸時代となります。
古くは藤原京の文武天皇の時代(700年頃)に、役小角(えん の おづぬ)が布引の瀧で修行をしたと滝勝寺縁起にあり、在原行平・業平兄弟の滝見物を語った平安初期(9世紀末頃)の「伊勢物語」が一躍この滝を有名にしました。
その後、都人などが足しげく訪れ、「栄華物語」には関白藤原師実、「平治物語」には平清盛、「源平盛衰記」には平重盛、「増鏡」には後醍醐天皇の滝見物が語られるとともに多くの和歌にも詠まれた滝です。
布引の瀧の水は、六甲山系の獺(カワウソ)池を源流とし、摩耶山・再度山の谷水を集め、布引貯水池を経て谷間に流れ込みます。
伝説と説話 雄滝
雄滝の落ち口の上流に大小五つの瓶穴があり、これは急流を流れ落ちる水と岩石が数十万年を経て作り上げた世界的にも稀な自然現象であることが、昭和10年に専門家の実地調査で証認されています。
その瓶穴は、布引瀧の竜宮伝説と共に神格化され、上流から第1孔(深さ6.6m)は滝姫宮、第2孔(6.6m)は白竜宮、第3孔(6.6m)は白鬚宮、第4孔(5.5m)は白滝宮、第5孔(1.5m)は五滝宮と名付けられています。
また、この瓶穴の中で丸く削られた石で、大出水時にたまたま流れ出たものを「竜宮石」と呼び珍重されたとのことです。
近代公園「布引遊園地」の誕生
現在は雌滝から雄滝へ、そして展望台へと岸壁に階段を交えた滝を巡る回遊路や尾根道がありますが、これは明治4年(1881年)頃から民間団体の花園社が神社の造営、梅・桜等の植樹、休憩所・茶屋の設置等を進めた「布引遊園地」開発の際に造成したもので、それまでは雄滝へは砂子山の北側から山道を登り、現在の雄滝茶屋辺りから滝見物をしていました。
江戸末期、伊勢の蘭学(地理学)者の齋藤拙堂が書いた旅行記を見ると、天保4年(1833)9月に布引雄滝を訪れたときの様子について「砂子山に登り、さらに険しい山路を登って茶店のある望瀑台に着いた。滝は正面に見える。岩角をたどって滝壺辺りへ降りると滝の飛沫で着物がびしょ濡れになった。」との旨を文献に遺しています。
明治33年(1900年)に上水用の布引貯水池が建造されるまでは、滝水は豊富で滝の飛沫が白玉のように飛び散るさまが和歌にも詠まれています。
布引三十六歌碑
上記花園社は、布引の滝の周辺に、平安時代から江戸時代にかけて詠まれた布引の滝の名歌の碑「布引三十六歌碑」を建てました。これらはその後散逸してしまいましたが、神戸市が順次復興をすすめ、2007年(平成19年)に全ての歌碑が復興されました。
歌一覧
- 1/布引の滝のしらいとなつくれは 絶えすそ人の山ちたつぬる (藤原定家)
- 2/あしのやの砂子の山のみなかみを のほりて見れは布ひきのたき(藤原基家)
- 3/布引の滝の白糸わくらはに 訪ひ来る人も幾代経ぬらむ(藤原行能)
- 4/津の国の生田の川の水上は 今こそ見つれ布引の滝(藤原基隆)
- 5/水の色たた白雪と見ゆるかな たれ晒しけむ布引のたき(源 顕房)
- 6/音にのみ聞きしはことの数ならて 名よりも高き布引の滝(藤原 良清)
- 7/さらしけむ甲斐もあるかな山姫の たつねて来つる布引の滝(藤原 師実)
- 8/山人の衣なるらし白妙の 月に晒せる布引のたき(藤原 良経)
- 9/山姫の嶺の梢にひきかけて 晒せる布や滝の白波(源 俊頼)
- 10/幾世とも知られぬものは白雲の 上より落つる布引の滝(藤原 家隆)
- 11/いかなれや雲間も見えぬ五月雨に さらし添らむ布引の滝(藤原 俊成)
- 12/岩はしるおとは氷にとさされて 松風おつる布引のたき(寂蓮 法師)
- 13/白雲とよそに見つれと足曳の 山もととろに落つる滝津瀬(源 経信)
- 14/水上の空に見ゆれは白雲の 立つにまかへる布引の滝(藤原 師通)
- 15/呉竹の夜の間に雨の洗ひほして 朝日に晒す布引の滝(西園寺 実氏)
- 16/うちはへて晒す日もなし布引の 滝の白糸さみたれの頃(藤原 為忠)
- 17/水上は霧たちこめて見えねとも 音そ空なる布引のたき(高階 為家)
- 18/水上はいつこなるらむ白雲の 中より落つる布引の滝(藤原 輔親)
- 19/岩間より落ち来る滝の白糸は むすはて見るも涼しかりけり(藤原 盛方)
- 20/松の音琴に調ふる山風は 滝の糸をやすけて弾くらむ(紀 貫之)
- 21/たち縫はぬ紅葉の衣そめ出てて 何山姫のぬの引の滝(順徳院)
- 22/ぬきみたる人こそあるらし白たまの まなくもちるかそての狭きに(在原 業平)
- 23/我世をは今日か明日かと待つ甲斐の 涙の滝といつれ高けむ(在原 行平)
- 23別/こきちらすたきのしら玉拾ひおきて 世のうきときのなみたにそかる(在原 行平)
- 24/雲井よりつらぬきかくる白玉を たれ布引のたきといひけむ(藤原 隆季)
- 25/久かたの天津乙女の夏衣 雲井にさらす布引のたき(藤原 有家)
- 26/ぬのひきのたき見てけふの日は暮れぬ 一夜やとかせみねのささ竹(澄覚法親王)
- 布引のたきつせかけて難波津や 梅か香おくる春の浦風(澄覚法親王)
- 27/たち縫はぬ衣着し人もなきものを なに山姫の衣晒すらむ(伊勢)
- 28/ぬしなくて晒せる布を棚はたに 我こころとやけふはかさまし(橘 長盛)
- 29/雲かすみたてぬきにして山姫の 織りて晒せる布引のたき(加藤枝直)
- 30/主なしと誰かいひけむおりたちて きて見る人の布引のたき(小沢蘆庵)
- 31/くりかえし見てこそ行かめ山姫の とる手ひまなき滝の白糸(鈴木重嶺)
- 32/布引の滝のたきつ瀬音にきく 山のいはほを今日見つるかも(賀茂真淵)
- 33/たち縫ぬ絹にしあれと旅人の まつきて見や布曳の滝(賀茂季鷹)
- 33別/分入し生田の小野の柄もここに くちしやはてむ布曳の滝(賀茂季鷹)
- 34/布引のたきのしらいとうちはへ てたれ山かせにかけてほすらむ(後鳥羽院)
- 蛍とふあしやの浦のあまのたく 一夜もはれぬ五月雨のそら(後鳥羽院)
- 35/世と共にこや山姫の晒すなる 白玉われぬ布引のたき(藤原公実)
- 36/たちかへり生田の森の幾度も 見るとも飽かし布引の滝(源 雅実)
- 番外1/千代かけて雄たき女瀧の結ほれし つきぬ流を布引の川(作者不詳)
- 番外2/みそ六つのひに響けり山姫の 織るや妙なる布引のたき(太田錦里)
- 句碑/涼しさや嶋へかたふく夕日かけ(布引坊)